昭和44年04月30日 朝のご理解
御理解 第18節
「此方のことを神、神というが此方ばかりではない。ここに参っておる人々がみな、神の氏子じゃ。生神とはここに神が生まれるということで、此方がおかげの受けはじめである。みんなもそのとおりにおかげが受けられるぞ。」
みんなもその通りにおかげが受けられると仰るのですから、これは御道の信心をさせて頂く者の最高の願いであり、焦点がここでなからなければならんと思うですね。金光様のご信心はもう神になる稽古だとだから言うてもいいんです。その神、神というが、とこう仰っておられる。ここへ参っておる人々が皆神の氏子じゃと。ですからこれはもう、人間だけのまあいうなら特権ですよね。人間だけがそういうおかげの頂けれる道というか、が、開かれるわけですね。
「生神とはここに神が生まれるということであって」と。私はそこに信心のけいこの焦点をおくという事を申しましたが、そんならその信心の稽古を本気でしようと言う人は、そこに焦点をおかなければならんが、そんなら、手始めにどういうようなことをしたら良いのか、どういうふうにあったら、あり方がね、あったらよいのかということを思うてみなければいけんと思う。
私はまず自分の心の中に愛の心、愛するという事、愛の心を確かめてみなければいけん。その愛の心を育てていく。所謂可愛いと思う心愛の心。ですから為には私共がまず親切にならなければいけん。真心を込めて親切になる稽古を一つさせてもらわないけん。親切な心を出させてもらうと言う為には何時も自分を犠牲にするというかね、所謂全てにまいうなら人に社会に奉仕する心というものがなからなければいけん。
信心を奉仕の生活と言う人さへあるくらいです。ね。そういう信心は奉仕の生活だと、そこから生まれてくるものが、愛であり神心であり。だから、そこんところの私は修行を本気でさせてもらわなければです、ここへ、ここに神が生まれるということがない。ね、これは信心の稽古をさせて頂くものはそういう稽古に取り組ませて頂くという、そこから生神がね、ここに神が生まれるという事になる。奉仕の心。ね、
奉仕の心には勿論その条件があってはならない。親切でもそうである。親切とは切実に親が子のことを思う。それが親切だとこう言われておる。親切な心とはどういうような心だろうかと。いわば親が子を思う切実な心が。こう親切だと言われておる。親が子供に切実な奉仕をするときに条件はないでしょう。それを当たりまえのこととして奉仕をするでしょう。子供を育てるという。
ま、様々な煩わしいというか本当にまあ面倒な事だなあと思うような事でも面倒と思わんで当たりまえの事としてそれをする、それが親切。それがなら、子供だけでなくて誰彼の上んでも奉仕をする。昨日、善導寺の御大祭の昨日一昨日、御大祭帰らせて頂きましたら、上野さんのところに愛子さんがお客さんがあっておる。誰かと思うておりましたら、あの嫁さんが縁についておったところの娘さんであった。ね、
色んな家庭問題、色んな悩みがあって一番に訪ねてきた所は、所謂前にお母さんと言うた上野さん所であった。ね、それがどう言う様なことからそれをそのそう言う事になって来たかと一つやっぱ思うてみなければいけない。いうなら義理の母親まあ二年あまりですか、それをなら小さいときから手塩にかけたというものでもないけれども、なら来年が青年祭といってましたから、まだ二十歳くらいですか綺麗な娘さん。
それがその前のお母さんを頼って話を聞いてもらいたいとこういう。ね。それはやはり上野さんが、そのいわば義理の子であるその、千恵子さんといいますが、千恵子さんに対するその条件の無い奉仕がですね、私そういうことが出来たと思うんです。どげん思うてもですね、本当のお母さんが別れてどこどこにおられるなら、その本当のお母さんを慕うて行くとか、頼っていくと言う様な事は世間にはありますけれども。
義理のお母さん、しかも、手塩にかけられたというならもう成長してからそこ二年あまりのお母さんに対してですね、相談に来ると。それがもう私見とってから、もう本当にひたひたとこう、なるわけです。まあ色々聞いてやっておる愛子さんの思うんですけれども、その娘さんも一晩泊まってもよかろうかというて、お家が心配されんならいいですよというて、申しましたから泊まる。
一晩泊まらせて頂いたんですけれども、夜の御祈念をいただく頃からその耳がうずきだした。大変にその痛みをうったえるものですから、一晩中昨日はその介抱して、そしてその願うておる事がですどうぞこの痛みをね、私の体にお祭り替え下さいというて願うたという。おかげで明くる日はこう、汁が段々出るごとなって、おかげですっきり昨日も昼過ぎに帰りましたがね。
もう本当にそのお母さんの、本当のお母さんの所に来ておるようなその状態ですよね。例えばなら、ただ、いうなら継子になりますたいね。後妻に行って、前のその娘さん。だからその愛子さんがいかにその二年間を信心で子供達に接しておったかという事が分かる。その後にまたすぐ新しいお母さんを見えておられますけれども、そりゃ上野さんの様なわけにはいかん。信心を持っておる者のようなわけにはいかん。
なるほど、やかましいお母さんでもあった。厳しいもあったけれどもです、ね、それは本当にこの子供の為に思うておったことが今分かって来たんです。今になってあちらのお爺さんやらおばあさん達が、ね、愛子さんのことを言われる。「あの人本当に大体百姓の全然しもきらんとがああして一生懸命やって、あげなやってくれよった」という事が今になってその、いうなら値打ちが出てきよるわけ。
私はその奉仕するという事ですよね。そこにはもう自分の子供だからとか、血が繋がっているとかといったような事ではなくてですね、そこが信心だとこう思うんです。しかもその子供が痛いといや、その痛みを自分の体の上に頂けれるものなら頂いてでもおかげを頂かせて下されというように願う心、これが私は親切だと、ね。そこにいわゆる皆さんの心の中に神が生まれるのです。
もう私が16、7だったと思います。私が15で酒屋の番頭に行きました。久留米にもう私はあちらに参りましてから七年間、壮島でしたから、壮島から櫛原の教会に毎朝、朝お参りを致しました。朝参りが出来んときにはもう、11時頃からでもやはりお参りして、門は閉まっておるけれども、門の外から拝んで帰りよった。段々そういうような信心がですね、隣近所のその私共と同じくらいな、向かいが鍛冶屋さんでしたが、鉄工所の小僧さん、弟子さん。
それから、ブリキ屋のまた筋向いがブリキ屋さんでしたが、ブリキ屋の弟子さん。それから少し下がった国武町ち言うところに吉塚という床屋さんがあったが、そこの息子さん。ちょっと向こうにヤマウラという八百屋さんがあったが、その八百屋さんの息子さん。どうでもやっぱ多い時には10人位、私連れて行きよった。それでもう朝4時頃から起きてからずっと起こして回らなんならなん。
俺も連れていってくれ、私も連れて行け女の方も何人かあった。そしてお導きそのみんなお導きして、皆起こしてからその7時頃までには帰ってこんならんわけですよね。店のほうがありますから。ある時、大変寒い霜の朝の時でした。櫛原の今、丁度秋葉神社ちゅうのがありますね。いまあすこは広い道になりますが、小さいでした。丁度秋葉神社の前まできましたらその。
山辺のこうちゃんというのが、その下駄をその下駄の鼻緒を切ったんです。そっで私はすぐあの足袋を脱いでから、足袋を脱いで裸足になって、私の下駄をこうちゃんにはじめてそのこうちゃんというのが、お参りしたんです。そこのお母さんは熱心に信心をされます。「どうでん、私のこうひちもいっちょ、起こしてから連れて行って下さい」と言うてから言われるもんですから、もう参らんちいいよっるばってんか、私が朝起こし行ったもんじゃけん、まあしょうことなしじゃけれども、起きて私に着いて来た。
たまたま、参ったのに今日冷たい思いをさせては、もう参らんち言うに違いないという気持ちだったでしょうね。私はすぐ裸足になって、こうちゃんに私の下駄をはかせて行き戻り私は裸足で帰った事があった。例えばそういうような事をですね、私自身のたとえば一生のいろんな生まれてから、いや生まれる前のことから生まれてから、そして、私がこれからおかげを頂いていくとき、私の一生一代のことを神様が私の修行中に物語ってくださった事があるんです。その中にそういう一こまが出てくるんです。
まあ、あん時には神は嬉しかったと。あれは神が受けておったと、という意味の事を頂くのですよ。自分が冷たい思いをするとかそういうことなんか、もうそん時には問題ではない。ね。愛の心とはそういう心。親切の心とはそんなもの。そういような物がです、ふんだんにいつも使えれるということ。それはもう誰にでも彼にでも使える稽古をすること。それがいわば信心は奉仕だと。
奉仕の生活こそが、信心の生活だと言うた人がございますが、確かにそうだと私は思うです。ね、いわゆる奉仕をする。いわゆる神様がお喜び頂けれることのための奉仕をする。ね。そういう私は、あの心がけにならせて頂くその向こうにです、は、これが生神の姿だと。その時分の(?)な時であっても自分の心の中に有り難い心が頂けれる。そこにいわゆる神が生まれてくる。ね。
神が生まれると。金光様のご信心はね、本当にここんところが焦点でなからなければ、目当てなからにゃいかんと言うことなんです。ね。そういう信心させて頂くところから「此方がおかげの受け初め」と仰るそのおかげがです、ね、此方がおかげの受け初めと仰るそのおかげが、ならそういう稽古をする私共の上にもおかげが受け始められてくるわけです。みんなもこの通りのおかげが受けられると結んでおられます。ね。
私共の心の中から生神が次々と誕生する。生神の誕生。それにはまず私共がですね、いわゆる奉仕の心。しかも条件のない奉仕でなからなければ奉仕になりません。ね、出血大サービスとかなんとかいうてその、まあんなら、売り出しなんかの時に、ね、大奉仕ということをそれも、売らんからの為の奉仕であったら、それはもう奉仕にはならん。ね。お客さんに喜んで頂くことのために奉仕をする。
こういう良い品をこういう値段で、それこそ買われたらお客さんが喜ぶじゃろうなあと思うたら、ね、たまには出血してからでも犠牲を払うてからでも、お客さんに喜んでもらわにゃおられんというような心なんです。私は信心の稽古のしみちが分からんという人があります。けれどもこんなに見やすう私は生神の道を教えてくださっておることはない。金光様のご信心は。けれどもそれをね。
ならただ、稽古しなかったらいつまでも、ね、皆もこの通りにおかげを受けられる、此方がおかげの受け始めと、おっしゃる様なおかげが表れてこない。お願いをしておかげを頂いた。お願いをしてこんな有り難い、おかげを頂いたという、おかげは受けられても、ね、此方が受けられたようなおかげは受けられん。此方がおかげの受け始めと、仰っておられるが、私共もです。
そういうあり方にならせて頂いたらこれこそ、こういうおかげの受け初めというおかげを受けてみて、初めて、信心とは有り難いということになってくると思う。ね。無条件の例えばその奉仕。ね。その心が愛の心である。ね、またそれが、親切な心でもある。三代金光様に、ある先生が無学の方で「私は無学でお話しもようできません。どういう心がけにならせて頂いたら人が助かりましょうか」というてお伺いさせて頂いたら金光様が仰っておられますね。
「親切の心一つあれば人が助かります」と仰った。親切とは親が子を思うような心ですから、垢の他人でもその心が使える所にです、ね、おかげが受けられるそこでですね、私共は様々に稽古をしていなければ受けられない。バスに乗らせて頂いたそこにお年よりの人が立っておった。どうぞと自分は例えばきつかっても立たせて貰うてそこの席を譲ると言った様な事柄からですね、まず初めてみなければいけないと思う。
ところがその年寄りがです、当たり前のごとしてから掛けらっしゃた。そしたらどうした年寄りじゃろうか。もう譲らん方がよかったともし思うならば、あなたのその親切はほんな親切じゃなかったということになるわけですよ。愛の心ではなかったという神様に喜んで頂くような奉仕じゃなかったと、席を譲っちゃおるけれども、それは神様に通うような譲り方ではなかったことになるのです。
もう亡くならられましたけれども、高橋正雄という偉い先生がおられましたね。九州に講師でお見えになられる先生お迎えに行った先生が、汽車の中でいっぱい混んでおった。ところが本当に見るからに気の毒な席をちょっと譲ってあげたら思うような人が皆立ってその譲った。高橋先生はその前に立っておられる人を本をこう読んでおられてから、じろっとこう見られた。
また、本に目を落とされながら、その方がこう見向きもされなかったとこう言うのである。高橋正雄先生程しの人だから恐らく席を譲られるだろうとこう思いよった。ね。ところが高橋正雄先生はじろっとその人を見られただけで、また、自分の読みかけておる本を読み続けられたという。まあ、九州の方につかれてお話も済んで、まあ色々とその後にお茶の時の話かなんかの時でしょうね。ま、
そういうことを話題に上ったんですね。だから親切というのは確かに親が子を思うような切なる心ですけれども、そのもう一つ向こうにその愛の心。ね。その愛の心を持ってするときです、私はあん時の話された。席をね、立ってあげる事が、可か、あげないことが良いのか、私の心の中にちょっと迷うた。そしてこれは席は譲らないほうがおかげだと思うたから、譲らなかったと言う意味の事を話されたというのです。
いわゆるあの、神愛という心の中にはそういう心があるんですよ。根性が悪うて席を譲らんのじゃない。親切がないから譲らんのじゃない。親切があるからこそ、愛の心があるからこそ、譲らなかったというのがあります。ね。いうならば、撫でさすりすることだけが親切じゃない。愛じゃない。ね。いわば叩き手の中にも、以上の愛が秘められておるんだという事です。ね、
ここんところは、だから皆さんがよく検討しながら、やはり稽古をしてみなければいけません。矢張りならバスの中で席を譲るというような事、ね、茶飯事の中にありますちょっとした事なんですけれども、有り難いこと、相手が合掌してはあ、すみません。有り難うございましたという、てその喜ばれればそれで良いだけれども、当たり前のようにしてかけらっしゃった。
どうした年寄りじゃろうか、ゆずらにゃよかったと思うごとあるなら譲らんほうがええ。ね。それはけれどもそういう風なですね、稽古をしていくという事なんです。信心とは。ね。相手が喜ぶとからとか喜ばないとかそんな事は問題じゃない。奉仕するその自分の心が有り難いのだ。人にその奉仕をする、喜んで頂く事の為に自分が奉仕しておる事がです、有り難うなってくる。いわゆる我と我が心が拝みたいようなものが。
そこから生まれてくるという事が楽しいという信心。そういう稽古。それが本当の意味での私は奉仕だとこう思うんです。生神とはここに神が生まれる、そこに生神が生まれるのです。ね。此方がおかげの受け始め、そこから、金光様のご信心は、そこからですね、おかげが必ず伴うてくるんです。ね。心の上だけではなくて。お願いしておかげを受けるというだけではなくて。例えば金光様の御信心のいわば最高の目的。
これは同じ動物であっても他の動物では出来ない、これはもう人間だけに与えられた特権というてもよい。生神になる道を開かせてもらえるのは人間だけ。けれどもそういう人間でも、そういうことに精進しないならば、これはいつまで経っても人間は人間。ね。いうならば霊長の値打ちすらないと私は思う。信心はいわば奉仕だと、信心生活とは奉仕の生活だと、確かに私は過言ではないと思う。ね。
そこから頂けれるもの、それが和賀心の中に次々と生まれてくる生神とはと、ここに神が生まれるという事であるということになる。その向こうにこれがおかげの受け始め、金光大神がおかげの受け始めなら私共もそういう生き方あり方にならせていただくところから、はあ、これがおかげの受け始め、頼まなんでも願わんでもそこに心の上にも形の上にもおかげが現れてくるおかげの受け初めをまず私共が受け、頂かせてもろうて、ね、誰でもこの通りのおかげが受けられますよと人にも伝えられるおかげ。
みんなもこの通りにおかげが受けられるぞとこうおっしゃる。ここんところを限りなく繰り返し繰り返し生神金光大神、生神を目指してです、金光大神を目指して、お互いの信心が進められていくと、もう実に楽しいことだとこう思う。ね。自分の周囲の誰彼にどのような中に人にも社会の上にもね、無条件の奉仕が出来る生活。それを信心生活とそこに期せずして頂けれるのが、生神の誕生である。ね。そのところが有り難いと分からせて頂く信心に一つ進ませてもらわなければいけませんね。